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ザミーン・ウードへ

3月31日





ウンドゥルオーさんの家に着くと、奥さんが
温かい肉ウドンと羊の骨付き肉を振舞ってくれた


食事の後はシャワーをさせてもらった

半月ぶりのシャンプー。僕の頭から垂れ落ちる泡は茶色く濁っていた




1ヶ月ぶりのシャワーは最高に気持ちよかったけど、
僕は水をずっと出しっぱなしにしてることに罪悪感を感じた





シャワーを終えたあとはウンドゥルオーさんに頼んで車を出してもらった


まずは北京に帰るためのチケット切符を買いにウランバートル駅まで行った

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モンゴルへの”行き”はウンドゥルオーさんとの待ち合わせが決まっていたので
確実にその日、その時間に辿り着けるように北京から国際列車に乗ってウランバートルに行ったけど

でもそれはすごく高かったので、帰りは国内列車と国際バスを乗り継ぐことにした



国境の街「ザミーン・ウード」までは
3等席だと5100Tg(トゥグルグ)。

地球の歩き方にそう書いてあったのに、カウンターに行って聞いてみると

「28000Tg」


って言われた





1番安いのにしてくれって言ったらそれでも9600Tgだった


地球の歩き方には

3等席  5100Tg
2等席 11400Tg(だったかな?)

って書いてあったからあんま納得いかんかったけど
英語なんて当然のように通じんので渋々9600Tgを払った




そのあと郵便局にてゲル滞在中に書いたポストカードを9枚出したけど
この料金も地球の歩き方に書いてあるのよりも高くて、2倍近い料金を支払うことになった


残ったお金で尚吾や藍、自分へのモンゴルの土産や、北京までの食料(パンやお菓子、水分)などを
買おうと思っていたけど、手元には2400Tgしか残ってなかった


2400Tgじゃあお菓子もまともに買えない(お菓子は割りと高い。板チョコ1枚で1000Tgを超える)
ので自分へのお土産は諦めた


でも尚吾と藍にはなんか買ってってあげたいなって思ってモンゴルのタバコを買うことにした



1番安いタバコで1箱600Tg
2コで1200Tg。



どうしてもほしい水は250Tg。


なんか味がついててネジネジにツイストしたうまそうな菓子パンは1000Tgで
それだと50Tgオーバーしてしまうので買えず、


お店の人に950Tgで買えるパンはないですかって言ったけど
通じず、困っていたら50Tgまけてくれた





僕は感謝の気持ちを込めた満面の笑みで、
一ヶ月のゲルホームステイで身に付けた発音で

「バイラルラー(ありがとう)」

と言った







さらに有り難いことに電車の中で食べなさいと言ってウンドゥルオーさんが
板チョコと小リンゴ4個とソーセージみたいなサラミと食べかけの板ガムを買ってくれた





荷物を取りに家に戻ると奥さんが食事(馬肉)を用意してくれていて
それを頂き、またウランバートルの駅まで送ってもらった




ウンドゥルオーさんは僕が乗る車輌まで連れてってくれ、最後に堅い握手をした

で、そのあとホッペにキスされて吸われた。


よく分からんけどきっとモンゴルの挨拶の仕方なんだろうね。

ただ僕はそれを真似することはできんかったので彼にお礼を言って
車輌に乗った



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僕は自分の座席の番号「65」を探したけどごこにあるのか分からんかった

「64」と「66」はあったけどなぜか「65」はなく、僕は近くにいたおっさんに
聞いたけどおっさんは僕の質問の意味が分からんかったのか僕が嫌いなのか分からんけど

かなり迷惑そうな顔をして、そんで最終的に無視した





でも本当にどこの国に行っても親切な人はいるもので
僕が困って席を探していると一人のおばちゃんがやってきて

僕のチケットの座席番号を覗き込み、そんで僕を連れてってくれた





連れてってくれた所はさっきの「66」の席で
イチの位がちょっと違う気がしたけど、まぁ変われって言われたら
変わればいいかなって思ってそこに座った


近くにはさっき僕を無視した小難しい顔をしたおっさんがいてちょっときまづかった





「66」はホントにテーブルと直角の座席で
これで15時間乗るのとかさすがにきついな~って思った


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僕は5100Tgじゃなくて9600Tg払ったから実はちょっといい席か寝台なんじゃないか
って少し期待してたけど全然そんなことはなかった






4時30分、
電車は予定通りに出発した




僕は最後のモンゴルの景色を楽しんだり本を読んだりしてた

カーブでは先頭の車輌が見えたけど雪景色に列車はなかなか合っていて素敵だった



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しばらくすると客室乗務員が来て、乗客にコーヒーを配ってた

そんで僕のとこにも来てコーヒーはいかが?

って言ってきた



僕はさっきの買い物ですべてのTgを使い果たしてたので
有料だったら飲めんかったけど、誰もお金を払ってる様子はなかったし、
インスタントコーヒーだったので無料で配ってるんかと思って


でも有料やったらアウトやから「無料?」って聞こうとしたんやけど
聞くより先に首が縦に動いてた














無料のワケねーやろっ!!







冷静さを取り戻したIGが心の中で叫んだ



でもその時には僕は甘くておいしいコーヒーをクチにしていた
いや、甘くておいしいコーヒーをクチにしたから冷静になれたのかもしれない





そういえば地球の歩き方に電車の中でコーヒー飲めます(有料)って
書いてあったなー

なんでそれを早う思い出さんのやよ、俺。



飲み終えた紙コップどっかに捨てちゃおーかなー

って思ったけど、そういう非人道的なことはよくないし。


でもTgはマジで一銭もないし。





コーヒーの値段は300Tg(今のレートで約21円)。

べらぼーに高い訳じゃないし誰か心優しい人がこの貧乏な旅人に温かい手を差し伸べてくれるのに
期待するしかないなって思った




で、1割くらいは回収に来ないことに期待してたんだけど
やっぱり当然のように乗務員があとからお金の回収にやってきた




あとからお金を請求するなんて、好きでもないのに手をつないでくる女の子くらい
非道いって思ったけど、
受け取る前に有料か無料かどうかを確認しんかった僕も悪く、




(コーヒー代も払えない貧乏なこの僕に21円を恵んでくれる心優しい人、
 現れて下さい)

って思いながら

「すみません。お金持ってないんです」

と伝えた



乗務員は哀れむような顔でしばらくクッシャクシャな髪の毛で
みずぼらしく髭の生えた僕を見ていたけど、ちょっとしたら向こうに行ってしまった



あれっ?300Tgも持ってない貧乏外国人は免除になったんかなって
思ったけど、奥の座席の人から回収したあとすぐに戻ってきて

「300Tg払ってください」って言われた






さっきないってやーん!



誰か助けてよー!!



あとでチョコとかサラミとかリンゴあげるから。




心の中でそう叫んだけど、誰も助けてくれなかった





お願いだから見逃して!!と目で訴えたけど
向こうは山王のゾーンプレスくらいガンガンにプレッシャーのかかった目で
こっちを見てきた


大してきれいでもない乗務員と見つめ合った時間がとっても長く感じられた







ふいに中国元を持ってることを思い出し、そのことを伝えると
中国元でもいいよってことになって僕は2元渡し、

事なきを得た




意外とあっさりな結末。














列車内では乗客はみんなトランプをしていた
売り子がトランプを売っており、どのテーブルでもトランプをしてた

みんな知り合いでもないやろうけど
若い坊からけっこう年のいったおじいちゃん、
割と裕福そうなマダム。

みんな混ざって楽しそうにトランプをやってた



通路を挟んだテーブル側の人達に誘われたので
せっかくだからと行ってみたけど

僕がルール知らんことが分かると弱い遊戯王カードのように用済みにされた







ここでは混ざらせてもらえんかったけど

そのあと少し英語が話せる人を通訳に4、5人から質問攻めにあったり、

図書館の係りをやってそうなちょっとふくよかなマダムに
おいしそうなサンドイッチを勧められたりした





こういうのって1人旅ならではなんかなって、
1人旅も大して寂しいもんでもねーのかなって思った












列車は夜も夜中も次々と新しい乗客を乗せ、寝れんくらいに賑やかやった







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ウランバートルへ

3月30日





ウランバートルからホームステイ先まで車で約12時間。
移動は1日がかりだから30日に帰ることになっていた僕としては
運転手のウンドゥルオーさんは前日の29日のうちに来て
30日の早朝に出発すると思っていた



でも29日のうちにウンドゥルオーさんは来ズ、心配していた







そうしたら9時頃に車のエンジン音が聞こえて
外を見てみると僕が来る時に乗せてもらった三菱デリカだった

来た時と同じように日本語が話せるお兄さんも一緒に向かえに来てくれた





お兄さんはすぐに出発するよって言った
僕も12時間がかりなのは承知だから早く出発した方がいいって思ってたけど

ウランバートルからやってきたお客さんを
うちのお父さんやお母さんは歓迎しないわけにはいかズ、
そんでウンドゥルオーさんもその歓迎を受けないわけにもいかズ
少しゆっくりしてから出発した







お別れはウルルンみたいに感動モノじゃなかったけど
お父さんとお母さんはずっと手を振ってくれていた


こっちの降る手が相手に見えたか分からんけど
僕もずっとずっと手を振った




お父さん、お母さん1ヶ月ありがとう!!


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ションコーはドントゴビっていう町に行くために同乗した




この日は曇りがちで風もありおぞい日だった
砂埃が舞い、遠くの景色が見ることができなかった






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前に車が通った跡があるとは言え、方角なんてわからんようなもので
運転は大変だったと思う



パリダカみたいな小さい丘がある荒れた砂地を40分くらい走り、
ウルジートという町に着いた





来る時にも寄ったウンドゥルオーさんの友達のボルさんの家に
お邪魔させてもらいそこでも少しゆっくりさせてもらった





あんまりゆっくりしてたらウランバートルに到着すんのが
遅くなっちゃうんじゃないかと心配だった

1時間くらいしてようやく再出発しようってなった時に
ボルさんの隣の家の人がウランバートルまで行きたいので乗せてってほしいって
ことになって、今度はその人の準備に30分ほど待つことになった





車の中で待っていると青い民族衣装に身を包んだやたら化粧の濃い菊川怜似の女の人が出てきて
車に荷物を積み始めた


年齢は30代半ばから後半とかだったと思うけど
モンゴルで1ヶ月お母さんと近所のおじさんの奥さん以外の女性を見てなかった
僕にとっては魅力的に見えた



それまで隣に座っていたションコーがうしろの席に移動した



僕は”菊川怜似”が隣に来るのかなってちょっと心躍った






けど、実際乗ってきたのは、恐らく”怜”のだんなで
猪木が着てるような真っ赤なガウンみたいなのを羽織った
吉本新喜劇に出てくるウカワコウイチみたいな人だった





この人はタダで乗せてもらう片身の狭い男のハズなのに
ズータイと同じように態度もデカく、中列の3席あるシート(座席)の
2つ分を使って座ってきやがった



しかもなんも気にせず足元にあるミルクが入ってる缶を僕の方に倒してくるし
2人分の席を使ってるにも関わらず肘を横にして僕のもたれかけてくるので
僕は1人分の席もまともに使えずにすみっこで縮こまっていた





「300ドルも出してこの車をチャーターしたのはこの僕だぞ!!」



って怒鳴って叱ってやりたかったけど
モンゴル語ではなんていうのかわからんかったから言わんズにおいてやった






こんな狭い状態でウランバートルまで12時間も車に乗っとるなんてきついなー
とか思いながらブー垂れて窓の外を眺めていた






2時間ほど走ると
ドントゴビの町に着き、そこでションコーと別れた



ゲルでずっと手を振りながら別れたお父さん達に比べたら
ちょっと中途半端な別れ方だった




ションコーと別れてすぐぐらいの時に
ウカワのケータイの変な着メロが流れ、ウカワはズータイと態度と同じような
デカい声で話はじめた


「いい加減にしろよ!コノヤロー!!」




って言ってウカワの垂れた下唇と顎ら辺を殴ってやろうと思ったけど
電話中やったのでやめておいてやった




電話が終わったのでそろそろ殴ろうかと思ったら
ウンドゥルオーさんと少し話し始めたので、もう少し待ってやった




そしたら車は停車し、ウカワ降りていった


ウランバートルまで行くって聞いてたけど、ドントゴビで降りてくれた









ウカワを降ろしたあと、スタンドに寄りガソリンを入れた


ホームステイ先に向かう時もここでガソリンを入れたけど
あの時はこのスタンドに来るまでに8時間くらいかかっていたので
今の感じで行ったらウランバートルに着くのは22時頃かなって時計を見て計算した






行く時と同様、道無き道を走った

途中で道を見失っては戻り、人に聞いたりしながら
新しい道を見つけ、また走った




行く時に比べたら雪は少ない感じがしたけど
所々に雪が残っていたり、雪がとけて道がぬかるんでいたりしてた




進んでいくと、雪が解けて水溜りができてる所に1台のトラックがハマってた




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助けを求められ、自分らの車とハマってるトラックを紐で結んでひっぱりあげた

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こういう事はしょっちゅうあるらしくて、そういう系の道具もちゃんと車に積んであった



昨日ウンドゥルオーさん達が来るときもハマってしまい、
1時間かかっても抜け出せず、たまたま通りかかったバスに助けてもらったらしかった





トラックを救出し終えたあと走っていたら
今度はさっきの3倍くらい大きいトラックが道を外しててそれと同じくらいの大きさの
クレーン付きが救出にあたってた

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モンゴルは道が整備されてないし、こういうトラブルは多いらしい











7時を過ぎ、辺りが暗くなりはじめた頃に雪がチラつきだした

その時は
もう3月も終わろうとしとんのに雪降るんやなって全く他人事のように気にしてなかった



でもさらさらと静かに降っていた雪はいつの間にか猛吹雪になっていた



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お母さんとションコーがなかなか帰ってこれんかった時くらいの猛吹雪に。








運転手のお兄さんはワイパーを動かすけど
ワイパーのゴムが緩くなってるのか正常に働いてくれず
全然窓にぶつかってくる雪を取り除いてくれんかった


仕方なくお兄さんは車を停め、足元に転がっていた軍手で
窓を拭いていたけど、拭きとっても拭きとっても雪はすぐに積もった



吹雪の勢いが強すぎて道が見えず、前も見えず
時速5キロくらいでノロノロと走った




それでも何度も道を見失ってしまい、戻ったりして道を探しながら走った







そして外はいつしか真っ暗になり、僕たちは完全に道を見失った



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ウンドゥルオーさんとお兄さんは猛吹雪の中、車から降りて道を探した

進路を間違えればそれは死につながるらしく2人とも必死に必死に道を探していた

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5分くらいかけて道を見つけ、走りだす。
2分くらい走ると道を見失うのでまた探す。




それの繰り返しだった





僕は言葉も通じんし外に出ても役に立たんし、外はびっくりするくらい寒かったからずっと
車の中にいた


暖房のかかってない車の中も寒かったけど、吹雪が入ってこないだけマシだった





吹雪はちっとも止む気配はなく
2分走っては道を見失い、5分道を探す


そんな地道な作業を2時間半くらい続けた







2時間半経っても数キロか10数キロしか進まんかったと思うけど
目の前の猛吹雪を見て道を間違えたら死に関わるっていうのは理解できた



ただ僕はウンドゥルオーさん達と一緒に道を探すことはできなかったので
ひたすら雪が止むことを願っていた









10時半頃、3台の車が遠くを走っていくのが見え、
もうスピードでその車を追った




彼らがちゃんとした道を知ってんのか
あとをついていけば大丈夫なのかわからんけど

お兄さんは2台のロシア製らしきバンと1台のトラックに追いつき
それからはずっとついていった




追いついてからは、彼らのあとをついていくだけだったので
わりと順調に、多分時速30キロくらいで進めた








順調に走り出した安心感か
順調に走りだした小気味良い揺れのためかわからんけど

僕はうとうととしていた





気がつくと時計の針は12をさしており
知らぬうちにどこかの町についていた







外はさっきまでよりもっと凄まじい吹雪になっていて
これ以上進めんと判断したらしく、

「今日はここで寝るよ」

って言われた




僕は了解!とは言ったものの
こんな寒い車内で寝れる訳ねーだろって思った


車の暖房は壊れてんのかちっとも効いてねーし
でもエンジンかかってたら少しはあったかいと思うけど
当然のように(エンジン)きってるし。





外は-10何℃とか-20何℃の世界。


エンジンきった車なんて
吹雪をさえぎるだけのただの鉄の壁




ウンドゥルオーさんは自分の毛皮を、
お兄さんはスノボ用のブーツを貸してくれたけど



焼け石に水というか
戦闘機に立ち向かう兵隊に竹やりを与えた程度で



その装備でこの寒さの中、眠りに挑むのは無謀な気がした







車泊の経験は過去にある

9月のニュージーランドでは寝袋に入ってんのに寒くて
寝れんっていうことも経験した



でもこの時の気温はNZのときよりも格段に寒かったと思う




こんな中でしかも寝袋無しで寝たら僕ははほんとに死んじゃうと思った



だから僕1人それを使うのはとっても心が痛かったけど
命には代えられんと思って


対モンゴル用に買った-7℃まで適応する寝袋を使おうと思って
うしろを見たら、すでにウンドゥルオーさんの枕にされていた






僕が死んだらウンドゥルオーさんのせいにしよう

まぁ凍死やったら苦しまずに死ねるやろうからいいかなって思って
そのまま寝ようとした






けど寒すぎた

ドア側からは強烈な冷気が襲ってきた


お兄さんが貸してくれたブーツはとってもあったかいやつのハズなのに
それでもダイの大冒険のレオナ姫みたいに足が凍っていきょうる感じがした







5分くらいしたら
お兄さんのイビキが聞こえてきた



こんな寒い中でよく寝れるなって感じだった









僕は当然のように寝れんかった






仕方なくこの状況を一時でも
忘れれるような楽しいことを繰り返し繰り返し考えてた







意識が朦朧としだしてきた2時半頃、
隣に停まってた3台の車のエンジンのかかる音がして僕はハッとした


そして3台の車はあっという間に走りだしていった

その車のエンジン音で目を覚ましたお兄さんも慌ててエンジンをかけ
行ってしまった3台を猛追した



猛猛吹雪は止んでいたけど
道にはすごい雪が積もっていた




お兄さんの猛追により
先に行った3台にはすぐに追いついたけど


前の車はよく雪にハマってたので急ぐ必要はなかった




先頭を走ってるからか分からんけど
前を走る2台のロシア製バンはよく雪にハマってた



その度にみんなで降りて下を固めたり、ひっぱったり脱出するために色々やってた

10分くらいかけて雪から脱出し、また走りだす



5分くらい走るとまた雪にハマる



今度はそれの繰り返しだった


先頭を走るからか、運転の仕方が悪いのか、車が悪いのかわからんけど
前の車はホントによく雪にハマってた


お兄さんの運転するこの車は1回もハマらんかったのに。







脱出するのに30分以上かかったこともあって
全然進めんくて僕は少しイライラしていた


けどお兄さんは彼らが雪から脱出するのを待ち、ひたすらあとをついていった


あんな奴らは抜かしてさっさと前を走ればいいのにって思ったけど
僕にはどうすることもできないのでだまって寒さと闘っていた



そしてそのうち気を失うように眠ってしまっていた










次に目を覚ますと
外は明るくなっていてどこかの民家の庭で4台で休憩していた

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時刻は7時、
ホームステイ先を出てから21時間経過していたけど
ウランバートルはまだまだだった




でもまわりも明るくなってたし道もはっきりした車輪のあとがあったので
休憩後はロシア製バン達を追い抜いて先を走った


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しばらく凸凹道を走ると舗装された道に出て、そこからは60キロくらいで快速に走った




そんで快速のまま2時間くらい走ってようやく、
ようやくウランバートルの街並みが見えてきた




9時半頃にウンドゥルオーさんの家に着き、
23時間半(400?)の長い長い長ーい移動を終えた






モンゴル、遊牧民のおうちにホームステイ





約1ヶ月のモンゴルでのホームステイを終え、
モンゴルはどうだったと聞かれたら

僕はまず「寒かった」って答えると思う





モンゴルと言ったら青い空と大草原、あとは馬。

そんなイメージばかりで寒いなんてちっとも想像してなかった


でもモンゴル行きが決まり、調べていくとモンゴルはくそ寒いことが分かった

首都ウランバートルでも平気でマイナス10何℃、時には20℃台。


でもきっと乾燥とかしてるから体感温度はそこまでじゃないやろう、
それに実際そこでモンゴルの民は生活してる訳やから
きっとなんとかなるやろうって思っとった








でも前にも書いたけど、
ほんとにほんとに寒かった

大気が肌を刺すような感覚で「寒い」という言葉では表現しきれん感じやった
どちらかというと「痛い」の方が近かったかもしれない


信じられんくらい信じられん感じ



日にちが経つにつれ少しずつ温かくなっていったけど
もしかしたら慣れもあったかもしれんけど

始めのうちは10分、15分外に出るのが大変だった



写真を撮るためにグローブを外すと
1分で手がかじかんだ



初日、台湾で対モンゴル用に買った暖かい靴下を履いて
ホームステイ先に向かったけど、車の中にいても
足が凍ってしまったんじゃねーかと思うくらい冷えた






運転手のウンドゥルオーさんには

「そんな格好じゃあ寒いぞ。ちゃんと上着持ってんのか?」

って何度も何度も聞かれた



僕はその時すでにフル装備でそれ以上なんともならんかったけど

「大丈夫、大丈夫」

と答えた


あんまり大丈夫じゃないかもって思ってたけど
そう答えるしかなかった






ウンドゥルオーさんは
ホームステイ先に僕を送り届けて帰ろうとしたときに

「そんなんじゃ絶対寒いから俺の貸してやる」

と言って自分の上着とトラウザーズ(ボードのウエアーみたいなやつ)とブーツを僕に貸してくれた




僕はとんでもなくラッキーで、そしてウンドゥルオーさんはとってもとってもいい人だと思った







実際貸してもらった服もブーツもすんごく暖かくて、
もしそれがなかったら僕のホームステイ生活は1ヶ月間のゲルの引きこもりになっていたと思う


ウンドゥルオーさんには本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。














今回遊牧民のおうちに僕がお金を払ってホームステイさせてもらうことになったんやけど、
できれば僕は「お客」じゃなくて「家族の一員」になりたかった
だから「僕だけ特別扱い」は嫌だったしおうちの人と同じ生活を望んだ



ただ少し僕とおうちの人との関係性というか位置づけが分かりにくかった
まぁ始めから明確になってた訳でもなかったと思うけど。








基本的におうちの人から○○して!とか手伝ってって言われることはなかった

朝仕事の時間になると外に出て仕事を始めるんだけど
僕には「ついておいで」とかっていう言葉はなかったから
僕は勝手についてって勝手に仕事を見てる。
そんな感じだった

そういうことが多かった

だから退屈な時もあった






それからどうも「過保護」にされてる気がして
あんまり何もやらせてもらえなかった気がする

「○○はIGはしなくていい」
「○○は危ないからダメ」

ってよく言われた気がする


もちろん僕なんて仕事ができる訳じゃないし、言葉も分からんから細かいことも教えれんし
足ひっぱるだけの僕に仕事をやらせたくないっていうのは分かるんやけど
僕的にはもう少しなにか手伝えたらよかったなって思う







ただらくだの乳搾りをやらせてもらったり、子羊に乳を与えたり
死んだ山羊の皮を剥ぐのを手伝ったり出来たのはとってもいい体験だったと思う


それからやっぱり子羊や子ヤギの出産を見れたのは良かったし
放牧から帰る時のらくだレース見れたのもよかったしモンゴルでしか味わえない経験ができたのはよかった













礼儀、作法については少しびっくりした

モンゴルに行く前に遊牧民の人たちの礼儀や作法のことについて
ちょっと調べてたのでタブーはやらないように気をつけてた






「ストーブの中にゴミを入れない」とか

「ゲルを支えてる柱(バガナ)にもたれない」とか

「2本の柱の間を通らない」とか

「2本の柱の間から物をとったり渡してはいけない」とかっていうのは

大体の本やサイトにも載ってる基本的なタブーと思っていたけど
これらは意外に全然守られてなかった






お菓子や物を受け取るときは左手では受け取らないっていうタブーも
あって気をつけてたんやけど

あるとき、なんかで右手がふさがっててふいに左手で受け取ったら
お母さんに注意されたことがあった

それからゲル内でウンコ座りしたら注意されたし
ゲル内で口笛を吹いても注意された

1回ションコーが僕の足を踏んでしまったときは
すぐに握手を求めてきたし

今も守られてる礼儀、作法もあった




















モンゴル語でお父さんは「アーウ」お母さんは「エージ」って言うんやけど

ステイし始めた頃はそう呼ぶのがなんか恥ずかしくてなかなか呼べんかった



でも頑張ってそう呼んでみたら意外と普通の反応だった




おうちの人たちも同じで始めのうちはなかなか僕の名前を呼んでくれんかった

ションコーは年も近いし友達感覚なのか初日から
呼んでくれたけどお父さんはなかなか呼んでくれんかった


4日目だか、5日目だかにお父さんに「IG」って言われたときは嬉しかった








言葉の通じない遊牧民たちとの生活でコミュニケーションは大変だったけど

おうちの人は積極的に話しかけてくれたし
僕も頑張って話しかけた

言いたいことが全部伝わる訳じゃないけど、でもおうちの人とはうまくいってたと思う

わずかなモンゴル語の単語でのやりとりはおもしろかったし
通じた時は嬉しかった


ションコーとモンゴル語で歌を歌ったり
お父さんとお母さんのいないところでエロい話したり
近所のおじさんに
「俺の嫁をやるで結婚してモンゴルに住め」
ってからかわれたり
お父さんもお母さんも
「IGは歯が悪いね」ってバカにしてたくせに
実は2人とも総入れ歯で大笑いしたり
なにかと楽しかった



プライバシーのない狭いゲルでの生活だったけど
そんなにストレスも感じることもなかった









ステイ終盤にお父さんに

「IG、次はいつ来るんだ?」

って言われた

僕が2~3年後って答えると


「今回は寒かったろうから今度は8月においで。8月はいいぞ!」

「わかった。今度は8月に来るよ」

って言ったら

「今度は奥さんを連れて2人でおいで」

って言われた



当然のようにまたおいでって言ってもらえて嬉しかった













大きな期待と不安を持って臨んだモンゴルは
理想と現実のギャップにショックを受けたりもしたけど
モンゴルの青い空は想像以上にツキーんときた
明るくて温かい家族と一緒に生活できたこともよかった



その家族にまたおいでって言ってもらえたことだし
馬に乗ってモンゴルの広い大地を駆け巡るってことはやりのこしてるし
近い将来にまた行きたいなって思う




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記念撮影





僕は写真が好きで、この旅の思い出もたくさん写真に収めていきたいと思っている


モンゴルなんて色々と期待してたし、実際すっごいいい景色がたくさんあったので
僕は写真を撮りまくったんやけど、家の人の写真はあんまり撮ってなかった



本に”遊牧民は写真を撮られるのが嫌だから写真を撮る時は許可を取ってから撮りましょう”って
書いてあったからなんとなく撮りにくかった


モンゴル語での訪ね方が書いてあったから訪ねてから
撮ればよかったんやけど、家の人に堅苦しく訪ねるのもなんか変な感じがして

なんかどっかで遠慮してたんかわからんけど
写真撮っていい?って聞きづらくて家の人の写真はあんまり撮れずにいた



でも僕にとってモンゴルの大切な大切な思い出になる写真は超大事なわけで
ホームステイ最終日の前日にみんなの写真を撮りたいっていうことを伝えた


そうしたらみんな全然OK!みたいな感じやって
これなら気にせずにもっといっぱい写真撮ればよかったって感じやった





家の人は普段から遊牧民の民族衣装の”デール”を着てて
僕はそれをすごいカッコいいと思っとって、その写真を撮りたいって思っとった

普段通りの格好の普段通りのみんなの写真を。





でも僕が写真を撮りたいって言ったら
ションコーはブーツを磨きだしたし、
お父さんは着替えだしたし、
お母さんなんかは髪を梳いて普段しん化粧をしてた



普段の格好でも十分カッコいいんやから


っていうかどっちかっていうと普段通りの格好の方がいいんやけど


って思ったけど、めっちゃオメカシしはじめた家の人には何も言えんかった




お父さんとお母さんは洋服棚の1番下から一張羅を取り出してた


帽子も物置みたいな所に置いてある袋に入った新品みたいなのを取り出してたし

お父さんなんて写るかどうか分からんのに下をチェックの襟付きシャツに替えてたし

みんな気合が入りまくってた



マジで冠婚葬祭でしか着んようなお父さんの一張羅は
青がピカピカと光ってて、髪の毛の長さとかも一緒くらいで

「お父さん、それクラピカやん!!」

って超ツッコミたかった




僕もデールを着せてもらい、新品の帽子も貸してもらった





僕はゲルの前に立ってもらって
”ゲルと遊牧民の家族”みたいな感じに撮りたかったけど

なんかお父さん的にゲルの前ではダメらしく
ゴビ砂漠をバックに撮ることになった



普段の微笑ましい感じの家族の写真が撮りたかったんやけど

なんか写真屋さんに頼んで撮ってもらうような感じのかた~い写真になってしまった


記念撮影1

記念撮影2

記念撮影3

記念撮影4

記念撮影6

記念撮影7

記念撮影5

記念撮影8







でもまぁこれはこれでいい記念だけどね。



ナーべQ




ホームステイの生活は割と毎日同じことの繰り返しだった


朝起きて、朝食を摂り、馬に餌をやり、らくだの乳を搾り
羊やヤギに餌をやり、子羊や、子ヤギにお乳をあげる



ちょっと休憩したりお昼を食べたりして
そんで羊、ヤギやらくだを井戸まで連れてって水をあげる




そのあとは放牧

日が暮れる頃に帰ってきて

夜はTVを見て9時くらいに夕食を食べて、10頃寝る





だいたいそんな感じだった





仕事は手伝わしてもらうこともあったけど
見ていることが多かった


言葉の壁もあって仕事を教わるっていうことは少なかったし
たまに頼まれる仕事も単純なものが多かった






ホームステイをして20日くらいした経った時に
このまま同じ事を繰り返してモンゴルを去るのはちょっともったいないって、



せっかく来たんやからなんかちょっと思い出に残るようなことをしたいなって思った











その時僕は”ナーべQ”のことを思い出した






何年か前の12月30日のくそ寒い時、それも夜に
グラサンズの4人で川原で”ナーべQ”をやった
(ナーべQは鍋とBBQを同時にやること)



その時の気温は多分普通に0℃くらいでめちゃめちゃ寒かった




でも

「ちょっとくらい無茶苦茶した方がおもしろいやん!?」

みたいな提案が尚吾からあって、決行された






その時は相当寒くて鼻水ダラダラやったし
夕方から夜にかけてやったもんで暗くて何かと不便やったし
何でこんな時にナーべQなんてしなかんのやよって
尚吾バカやら!?って思ったけど



熱っつ熱の鍋とBBQはすごいうまかったし
めちゃ寒いときに無茶したっていうことが強烈に記憶に残っている





思い出は自分で創るもんや!そういうことをここでもやろう!って

いい思い出になるように、強烈な印象が残るようにちょっとくらい無茶なことしようって思った








で、考えてみた



いろいろと。






無茶で過酷でおもしろいことはないか。





でもいい案が浮かばなかった











次の日、目を覚ますとお母さんに

「おはよう。IG、今日はすごく天気がいいよ」


って言われた




外に出てみると
雲ひとつない晴天やった



その空を見てゴビ砂漠を歩こうって思った







前に迷子になって怖い思いをしたことがあったから
歩くっていうのはどうかと思ってたけど

らくだについていけば大丈夫だと思って歩くことにした





らくだは朝乳搾りが終わると井戸に行って水を飲んで
そのあとは自分達で餌を求めて勝手に歩いていく

10何キロとか20キロくらい先まで歩いていって
自分達の食べる食料を見つけたらそこで食事をする

夕方5時とか6時になるとションコーがバイクで
らくだのとこまで行って、らくだを先導して連れて帰ってくる。



大体そんな感じになっていたので
らくだの放牧についていって
夕方になったらションコーのバイクに乗って帰れば

迷子にもならんし
らくだが居れば心細くもないし


別に無茶でも過酷でもないかもしれんけど
ゴビ砂漠を8時間ぐらい歩いたらいい思い出になりそうやなって思った



問題は過保護に僕を扱う家の人がウンと言ってくれるか
だったけど
聞いてみたらあっさりOKだった





外はちょっと風があったから
寒いかもしれん


お昼食べれんからお腹すくかもしれん


ただただ同じ景色の中を歩くなんて退屈なだけかもしれん

8時間も歩いたらえらいかもしれん


あーこんなことしんけりゃよかった
って後悔するくらいするかもしれん



でも後悔するくらいの方がおもしろそうやって思った





後悔するくらいきつかったらいいな





なんかちょっと趣旨が変な気がするけど
こうして僕の

「らくだと歩く!ゴビ砂漠8時間ハイキング」

が敢行された








らくだは井戸で水を飲んだあと、誰に指図されるわけでもないのに
みんな南の方に向かっていった




どうやってコミュニケーションとったるのか知らんけど
ちゃんと統率されてみんな同じ方に向かっていた




僕は水やりを終えてゲルに戻ろうとするお父さんに
サヨナラを言い、最後尾を行くらくだと一緒に歩きだした




風はちょっとあったけど
念入りにフル装備をしてきたの寒くはなかった





らくだに近づくと
らくだは僕を嫌がって離れていくので
らくだから離れて歩いた










当然だけどやっぱり歩いても歩いても見えるのは砂漠だった



パラレル西遊記に出てくる三蔵法師は砂漠を歩いとったけど
天竺ってどこか知らんけど
インドやったかパキスタンやったかトルコやったかイスラム圏の辺やったか忘れたけど
こんなところを永遠と何百キロも何千キロも歩いたなんて大変やったやろうな




って思ったり

音楽を聴いたり

妄想に浸ったりしながら黙々と歩いた








自分1人だったら
迷子にならんようにこの似通った景色を覚えようと必死になっていたと
思うし心細かったとも思うけど

らくだが20頭くらいいたので安心して歩けた




途中から砂漠に木の枝みたいなのが生えてて
らくだたちはそれを食べながら歩いてた


僕は草が生えてるところまで行って
そこに着いたらそこでゆっくり食事に専念するんかと思ってたけど違ってた




まぁらくだが8時間歩き続けるんなら
僕も歩き続けようって思った















2時間くらい歩いた頃
後ろから1台のバイクが近づいてきた

僕は知らん人で訳分からんモンゴル語で話し掛けられたらどうしよう
って思ってちょっと緊張していたけど、バイクに乗ってきた人物はお父さんだった


で、お父さんに

「IG、乗れよ」


って言われた


「え?なんで?僕が乗るの?」


って聞くとお父さんはうなずいて

「寒いから帰るぞ」


って言った




乗らないよ。まだ2時間しか歩いてないもん。
別に寒くないし。寒くてもいいし。まだ全然きつい思いしてないもん!




って言いたかったけど
家の人に心配かけてまで続けても仕方ないかなって思って
大人しくいう事を聞いてバイクの後ろに乗った





僕の「らくだと歩く!ゴビ砂漠8時間ハイキング」は
全然きつくなる前の楽しい散歩で終わってしまった





でも僕的には今回みたいな試みはよかったと思う





海外を旅していて
いつもは目まぐるしく変わる環境に対応していくのが精一杯で
なんとなく「受身」になってることが多かった



だから今回の思いつきはよかったと思うし、
今後も時には自分できついイベントを創って
強烈にきつい思いをしていい思い出を作っていけたらなって思う









せっかく海外に来てるんだから。

いや、場所は関係ないな



せっかく生きてるんだから。




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    人生を賭けて飛び出した海の向こうで

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